料理を終えてソファーで大くんの帰りを待っていた。今日は二十二時頃には、戻ってきてくれるらしい。嘘をついてしまった理由を聞かれるだろう。大くんは許してくれるだろうか。テレビもつけないで無音の中、クッションを抱えて座っていた。ドアが開いた音が聞こえた。大くんが帰って来たのだと嬉しくなったけれど、嘘をついたことが後ろめたくて立ち上がったけれど迎えに行けなかった。……どうしよう。すぐに大くんがリビングに入ってくる。「ただいま、美羽」「お、お帰り……」下手くそな笑顔を浮かべて大くんに近づいていくと、大くんは手を伸ばして私の額に手を触れた。気まずくなって視線を落とすと、夜ご飯を買ってきてくれたらしく、袋が手にあった。「本当に、熱ないな。池村が嘘をついたのかと思ってしまったよ」大くんは、私を信じてくれたんだ。それなのに、なんてヒドイことをしてしまったんだろう。キッチンに目を向けた大くんは眉をひそめた。「ご飯を作る余裕もあったんだな。まぁ、元気でよかったよ」優しすぎる笑顔に泣きそうになってしまった。ちゃんと謝らなきゃ。大くんを見つめると、真面目な顔をされた。大くんは明らかに感情を出さないようにしている。心の中では怒っているのだろう。「美羽、でも……ちゃんと話をしようか」「うん……」「こっち、おいで」手を引かれてソファーに並んで座った。大くんと私は体ごとお互いを向き合う。真剣な顔で笑顔は浮かべずまっすぐに見つめられた。緊張して唇が乾いてくる。手が冷たくなってきてぎゅっと握った。「美羽は嘘をつかない子だと思ってたから。俺……ちょっと、ショック受けてる。きっと、理由があったんだと思うけど……正直に言ってほしい」小さな嘘だったのに、愛しの人を傷つけてしまった。よくないと思っていたけど、改めて嘘をついたことを後悔する。一つ頷いて隠さずにきちんと伝えようと心が決まった。「実は、電話をもらった時にうたた寝をしていたの。大くんが一生懸命頑張って働いているのに、何もしないで寝てしまうなんてヒドイでしょう? だから、咄嗟に嘘をついてしまったの。ズルイよね、私……。本当にごめんなさい」大くんの顔から緊張の色が消えていく。私の手を自分の手の平に乗せてもう一つの手で包み込んでくれた。大きくて温かい。「そんな理由だったのか。気を使ってくれたん
「大くん……私ね、やっぱり家にいるだけだと申し訳ない気持ちが出てきちゃうの。だから、働きに行きたいと思って」私は正直に自分の気持ちを伝えてみた。「え……マジで」驚いたような、困ったような表情の大くん。背もたれに体重をかけて少し考えた顔をする。やっぱり大くんは家にいてほしいタイプなのだろうか。「だってこれから忙しくなるよ。結婚して、子供産んで……」「結婚する日も、まだ決めてないし」ついつい言ってしまった本音。正式に夫婦となるまで不安だったりする……。せめて入籍日を決めておきたい。仕事の関係でいろいろあるのだろうけど、ちゃんと決めておきたいこともある。「……そうだよね。入籍日はせめて決めたいよな。俺は今すぐにでも入籍してしまいたいと思ってるんだけど」体をぐっと起こして私に近づいてくる大くん。「二人にとっていい日にしたいよな。希望の日ってあるか? 美羽の誕生日とか……。事務所にもしっかり相談しないといけないし」いつがいいか、私は首をひねりながら考えてみる。「十一月三日にしない?」「俺らが付き合った日?」「うん。入社した時に果物言葉を先輩に教えてもらってその時に真っ先に調べたのが、大くんと付き合った日なの。それでね、十一月三日が『相思相愛』だったの。私達にとっていい日に入籍したいな」ニコッと笑って「わかったよ、美羽」と言ったあと、優しく抱きしめてくれた。本当に私と大くんは夫婦になるんだ。心の中に温かい気持ちがあふれ出す。顔を上げると、微笑んでいた。お互いに目を閉じてキスがはじまった。私の髪の毛に手を差し込むと、大くんは、もっと唇を押しつけてくる。『はな』を産めずに過ごしたあの日から遡って、会えなかった時間を埋めるように愛してくれていると感じた。遠慮がちにしてきたキスは激しさを増す。唇を割って入ってきた舌と舌を絡めていると、だんだんと甘い気分になってきた。大くんは帰って来たばかりでご飯も食べていないのにいいのかな。不安になって目を開けると、大くんも目を開けて見ていた。
「美羽、どうしたの?」「お腹……空いてない?」「お腹よりも美羽が欲してるかも。美羽を補給したいかな……」くすっと笑って大くんは、私の太腿に頭を乗せてくる。安心しきった顔で甘えてくれると素直に嬉しい。柔らかい栗色の毛を撫でる。芸能人はコロコロ髪型を変えるのだけど、大くんは何をやっても似合う。大くんは体を私のほうに向けてお腹に顔をこすりつけてくる。まるで子犬だ。こうやってじゃれ合っている時間は最高に幸せで、いつか消えてしまうのではないかと思うほどだ。得るものがあれば、失うものがあるような気がして不安だった。「ねぇ、大くん。やっぱり、働きたいな。パートでもいいし」「うーん……。ちゃんと指輪してくれるなら考えてもいいけど」「ダイヤのリングはハードルが高いもん」落としてしまったら大変だ。なるべく宝物のように大切にしまっておきたい。「じゃあ、シンプルなの買いに行こうか」「もったいないから、いい」大くんは起き上がってずっと私の瞳を見つめてくる。まるで獲物を仕留めるような百獣の王のような強い視線だった。いつも穏やかで可愛い顔しているのに急に男っぽい顔をすることがあるのでドキッとさせられる。「俺、独占欲が半端ないんだよね……。もしも、美羽に変な男がくっついたら頭がおかしくなっちゃいそう。美羽ってさ、優しいから言い寄ってきたら断れなさそう」笑いながら激しい束縛めいたことを言うのが、大くんらしい。心配しなくてもいいのに。あんして大丈夫なのに。「わかった。リングつけるよ。外出する時はするようにします」「だーめ」私の顔を両手で包み込んでチュッとされた。いちいち行動が甘くて私の心臓は持たないかもしれない。「家の中でも。宅急便の男とかと接触することだってあるでしょ。……美羽、全然わかってない」「だ、大くん、まずはご飯食べよう」「ああ、うん」大くんの独占欲がこんなに激しいと思わなかったけど、私は嫌いじゃない。そんなに好きになってくれてありがたいと思っている。
食事を終えてシャワーを浴びた大くんが、頭を拭きながら戻ってきた。Tシャツにスウェットパンツなのに、何度見ても見惚れちゃう。カーペットに座って思わず見上げてしまう。「結婚して子供ができたらこの家だと狭いよなぁ」「…………(かっこいいなぁ)」「引っ越し………したく……っていうか、何?」私があまりにも見つめていることに気がついたのだろう。怪訝そうな顔をしてしゃがんだ大くんは、顔を思い切り近づけてくる。「何?」「えっ?」「じっと見てさ。何かついてる? ん?」更に顔を近づけてきてチュッと頬にキスをされた。自然すぎる頬キスに胸が高鳴る。アラサー女の思考じゃないのか、私ったら。まるで恋愛初心者の女学生みたいだ。いつになったらこのときめきは消えるのだろうか。大くんは、私の隣であぐらをかく。ついつい、大くんと過ごしていると出会った頃の気持ちになってしまうのだ。いつまでもピュアな気持ちが消えない。「大くんがあまりにもイケメンだから……だもん」「そりゃ、ありがとう。でも、俺の奥さんになるんだから慣れてくれよ」「うん……」それが、なかなか難しい。好きな気持ちが強すぎて、このまま家族になっても大丈夫なのだろうかと不安になってきた。「気軽に襲えないだろ」「いや、襲ってくれても大丈夫だけど……」って私は何を言っているのか。「ふーん。遠慮しないと大変なことになるけどいいの?」「えっ……うーんっ……どうかな」恥ずかしさを隠すように足を伸ばすとショートパンツだから膝の頭が見えた。ちょっとだけ、赤くなっている。床掃除をした日はなかなか色が消えない。「美羽、膝赤い」温かい手のひらで触れられる。「床掃除はモップでしなさいって言っただろ。美羽は色が白いんだからすぐに赤くなってしまう。そのまま黒になるぞ。大事な美羽に傷をつけたくない」「ごめんなさい……つい」「許さない。お仕置きする」私の膝の裏に手を入れた大くんは膝を折った。そして、膝の頭にキスをした。そして、ペロペロと舐めだす。「く、くすぐったいっ」「言うこと聞かないからだぞ」唇で膝を愛撫されて体の力が抜けていく。そのまま内腿へ移動してくる唇。「ちょっと……いやんっ……待って……」カーペットに倒れてしまった。大くんは私の足にまだ吸いついてくる。くすぐったいのが快感へと変わっていく
その後……。ベッドでたくさん愛され動けなくなってしまった。ハードスケジュールだったのに大くんは、体力がまだまだ余っているらしい。何度も何度も復活するから、ある意味尊敬してしまう。うつ伏せになって呼吸を整えている私の背中を撫でてくれる。「おーい、大丈夫か……?」「大くん、激しすぎるって」背中にぺったりくっついてきた大くんの重みを感じて、つい微笑みがこぼれた。顔が見たくなって上を向くと添い寝してくれた。お互いに生まれたままの姿でベッドの上でゴロゴロするのが気持ちいい。幸せを感じる瞬間だ。大くんは腕枕をしてくれる。すっかり甘えきった私はうっとりと目を閉じていた。「なぁ、美羽」「ん?」「俺らにちゃんと子供できるかな。はなが怒って授かれないとか……ないよね」珍しく不安そうな声音だ。赤ちゃんについては授かり物だから確証はないけど、私は大くんの子供をいつの日か産む気がする。「はなは、いい子だよ。絶対に大丈夫」私は星になってしまった子供のことを心に浮かべていた。「最低三人は、ほしいな。美羽は一人っ子だろ。俺は兄貴がいたけど、兄弟っていいもんだぞ」「うん。賑やかな家庭にしたいね」結婚はゴールじゃないけれど、ここまで来れたことに幸せを感じていた。大くんの赤ちゃん……可愛いだろうなぁ。「さっきも言ったけどさ。遠慮はするなよ。俺の仕事って特殊だから時間がバラバラだろ。だから体力がないとついていけない時もあると思う。眠くなったら寝ていいし、帰りだって待ってなくていいから」「大くんの帰りはなるべく待っていたい。一日の終りに顔が見れないなんて寂しいじゃない」「……美羽」大くんは嬉しそうにぎゅっと抱きしめてくれた。「それと仕事だけど、社会と繋がりがほしいなら習い事とかでもよくない?」「そうだね。……でも、赤ちゃんが生まれるまでは働きたいかな。子供にはちゃんと教育を受けさせてあげたいし習い事をしたいって言ったらやらせてあげたい」「お金のことは心配しなくていいと思うけど……」そうだとは思っているけれど、二人の子供なので私も協力できることをしたいのだ。「大くんだけに頼るのはよくないと思うの。もしかしたら怪我をしてしまって働けない時もあると思うし」「ちゃんと保険に入ってるから大丈夫」「それでも……」私は珍しく自分の気持ちを曲げなかった。する
続編第二章 愛するからこその独占欲仕事をしたいと大くんに言った次の日に、大くんが所属する事務所の大澤社長から電話をもらった。会計課の事務処理をするのに人手が足りないから仕事をしたいならどうかと声をかけてもらい、働くことにしたのだ。朝、大くんを見送ってから出勤をする。事務所は住んでいる場所からとても近くて、徒歩で行けるところにある。ビルの一角を借りて営業しているのだ。オフィスがある十五階を降りると廊下には、所属アーティストのポスターが貼られていた。その中で一番目立つ位置にCOLORのポスターが貼ってある。セキュリティカードをかざしてロックをすると扉が開かれ、白とガラスを基調としたお洒落な事務所の一室には、デスクが並んでいてパソコンが置いてあり、部署ごとに区切られている。打ち合わせスペースやお客様が来た時に通す部屋などがあり、一番奥に社長の部屋が設置されていた。所属しているタレントやアーティストは、三十名ほどでそんなに大きなほうではない。COLORが事務所の稼ぎ頭として活躍しているのだ。私は会計課の仕事を手伝うことになったのだが、会計課はドアのついた空間で仕事をしていた。事務所に到着すると今日も仕事を頑張ろうと気合いを入れた。「おはようございます」「おはようございます」笑顔で挨拶してくれたのは、芽衣子さん。ハキハキしていて性格がいい頼りになる人だ。「美羽さん、今日もよろしくお願いします」「よろしくお願いします」デスクに座ってパソコンを起動した。ふと顔を上げるとCOLORのポスターが貼ってある。十時から十五時まででいいと言ってくれて、用事ができた場合も気兼ねなく言ってくれたら休めるようにすると言ってくれた。仕事をすることになったけれど事務所には色んな方が出入りする。だから結婚するまでは大くんの婚約者なのは大っぴらにはしないことにした。ライブ会場で大勢の前で結婚したい女性がいると話をしてくれていたけれど、私がステージに立ったわけではないので顔がバレているわけではない。私が仕事に集中できるようにと大澤社長が気を使ってくれたのだ。数人のスタッフさんと、一緒に働く芽衣子さんには、伝えてあるらしい。ゴールデンウィークを終えてから働き始めて二週間。環境にも慣れてきた。芽衣子さんは、新卒の頃からいるらしくここで長く働いているようだ。会計
入ってきたのはマネージメント部マネージャーの市川さんだ。スーツをお洒落に着こなしている。タレントにも劣らないルックスで優しい大人男性である。出張したり、接待をしたりすることが多いため、経費の申請に頻繁に来ていて顔見知りになった。「美羽ちゃん、お疲れ様」「市川さんお疲れ様です」笑顔を向けて挨拶し合う。「どう、慣れた?」「はい。皆さん親切にしてくださるので」「あまり無理しないで、頑張れよ」ハキハキした口調で話して、ポンポンと肩を叩いて出て行く。偉い人は苗字で呼ぶこともあるが、下の名前で呼ぶのは、ここの社風らしい。私と市川さんが特別な関係だからと言うわけではない。市川さんが去って行くと静になる。パソコンを操作する音が響いていた。部署には、私と芽衣子さんの二人きりだ。「市川さんってカッコイイよねー。元モデルだっただけある」芽衣子さんがポツリとつぶやく。「モデルだったんですか?」モデルと聞いてそうだったんだとかなり納得できる。でもどうして裏方で働いているのだろう。「そう。でも、裏方の方が向いてると言って今の仕事をしてるのよ」「そうなんですか」「でも……どうしてあのルックスで結婚しないのかな。もう三十五歳なのに」……そうだったんだ。独身なんだ。「あの容姿だとモテすぎて困っているんじゃないですか?」「イケメンだと結婚するのに選びすぎるのかな。……まあ紫藤さんみたいな人もいるけどね」意味ありげな笑みを浮かべた芽衣子さん。恥ずかしくなって目を逸らした。芽衣子さんは付き合ってる人はいるのかな。……普通に考えているか。すごく美人だし性格もいいし。仕事は、会計中心だけど雑用もする。掃除をしたり、お茶を出したり。いろいろやることがあって、午後三時までの勤務なので短いのもあるがあっという間に一日が終わる。他の社員さんが戻ってきた。パソコンの打ち込みをしていると「お疲れ様」と声が聞こえた。入ってきたのはCOLORメンバーの黒柳さんだ。用事があるわけでもないのに入ってくる。「お疲れ様です」挨拶する社員さん。私も続いて挨拶をした。黒柳さんは、芽衣子さんの隣の空いている椅子に気だるそうに座った。この事務所に働き出してわかったのは、大くんに負けず黒柳さんはマイペースだということ。椅子に腰をかけてそこで眠ってしまう。その寝顔とき
一緒に住んでいることは秘密にしているのに。周りの社員さんが不思議そうな顔をする。それを察した芽衣子さんは「事務所に来るかもしれないしね」とごまかしてくれた。「そう。じゃあマネージャーに届けさせるわ」後ろの首に手を当てつつ黒柳さんは帰って行く。あーハラハラした。まあ、バレてもいいけれど……知られたくない気持ちのほうが強い。いまだに不釣合いなんじゃないかと思ってしまう。事務所の人だってなんでこの子なのって思われるかもしれない。どう思われたとしても気にしちゃいけないんだけどね。仕事が終了時間になって、芽衣子さんが「お疲れ様」と声をかけてくれた。「失礼します」帰る準備をして部署を出ると、エレベーターホールに市川さんが立っていた。「お疲れ様です」「あっ」そう言って手が伸びてきたからびっくりして身を縮こませた。「驚かせてごめん。髪の毛にこれ、ついてたからさ」「ほら」笑って見せてくれた。親指と人差し指で摘んでいたのは、紙切れ。さっき書類整理した時についてしまったのかもしれない。「あー……すみませんっ。ありがとうございます。私ってアラサーなのに抜けているところがあるんですよ……。本当に、すみません」「謝らないで」市川さんがニコっと笑った。上から見下ろされると恥ずかしくなってしまう。そんなに見つめないでほしい。優しい視線を向けられてどんな反応したらいいのか困ってしまった。……早くエレベーター来てよ。「ごめんね、髪の毛乱れちゃったな……直してあげよう」そう言って私の髪の毛を撫でた。大くん以外の人に触られるなんてありえないっ。動揺して声も出せずにいると、エレベーターのドアが開いて人が降りてきた。視線を動かすと大くんが立っていた。「……大くんっ……」小さな声でつぶやいたのに、市川さんには聞こえてしまったらしい。「へぇ、大くんって呼んでるんだ」意味ありげな笑みを浮かべられた。「……ファンだったんです」言い訳をしてみる。大くんはエレベーターの前で立ち止まった。「お疲れ様です。市川さん」大くんは無理に笑顔を作っているように見えた。髪の毛を触られたの……見られちゃったかな。市川さんは偉い人だから、大くんと私の関係は知っているはず。だから、変な意味で触れてきたんじゃなくて、本当に親切心だったと思う。市川さんはいい人だし。
「俺たちはさ、自分のやりたい道を見つけて、それぞれ進んでいけるかもしれないけど、今まで応援してくれた人たちはどんな気持ちになると思う?」どうしてもそこだけは避けてはいけない道のような気がして、俺は素直に自分の言葉を口にした。光の差してきた事務所にまた重い空気が流れていく。でも大事なことなので言わなければならない。苦しいけれど、ここは乗り越えて行かなければいけない壁なのだ。.「悲しむに決まってるよ。いつも俺たちの衣装を真似して作ってきてくれるファンとか、丁寧にレポートを書いて送ってくれる人とか。そういう人たちに支えられてきたんだよね」黒柳が切なそうな声で言った。でもその声の中には感謝の気持ちも感じられる。デビューしてから今日までの楽しかったことや嬉しかったこと辛かったことや苦しかったことを思い出す。毎日必死で生きてきたのであっという間に時が流れたような気がした。「感謝の気持を込めて……盛大に解散ライブをやるしかないんじゃないか?」赤坂が告げると、そこにいる全員が同じ気持ちになったようだった。部屋の空気が引き締まったように思える。「本当は全国各地回って挨拶をさせてあげたいんだけど、今あなたたちはなるべく早く解散を望んでいるわよね。それなら大きな会場でやるしかない。会場に来れない人たちのためには配信もしてあげるべきね」「そうだね」社長が言うと黒柳は返事してぼんやりと宙に視線を送る。いろんなことを想像している時、彼はこういう表情を浮かべるのだ。「今までの集大成を見せようぜ」「おう」赤坂が言い俺が返事をした。黒柳もうなずいている。「じゃあ……十二月三十一日を持って解散する方向で進んでいきましょう。まずはファンクラブに向けて今月中にメッセージをして、会場を抑えてライブの予告もする。その後にメディアにお知らせをする。おそらくオファーがたくさん来ると思うからなるべくスケジュールを合わせて、今までの感謝の気持ちで出演してきましょう」社長がテキパキと口にするが、きっと彼女の心の中にもいろんな感情が渦巻いているに違いない。育ての親としてたちを見送るような気持ちだろう。それから俺たちは解散ライブに向けてどんなことをするべきか、前向きに話し合いが行われた。
「じゃあ、まず成人」 赤坂は、名前を呼ばれると一瞬考え込んだような表情をしたが、すぐに口を開いた。 「……俺は、作詞作曲……やりたい」 「そう。いいわね。元COLORプロデュースのアイドルなんて作ったら世の中の人が喜んでくれるかもしれないわ」 社長は優しい顔をして聞いていた。 「リュウジは?」 社長に言われてぼんやりと天井を見上げた。しばらく逡巡してからのんびりとした口調で言う。 「まだ具体的にイメージできてないけど、テレビで話をするとか好きだからそういう仕そういう仕事ができたら」 「いいじゃないかしら」 最後に全員の視線がこちらを向いた。 「大は?」 みんなの話を聞いて俺にできることは何なんだろうと考えていた。音楽も好きだけど興味があることといえば演技の世界だ。 「俳優……かな」 「今のあなたにピッタリね。新しい仕事も決まったと聞いたわよ」 「どんな仕事?」 赤坂が興味ある気に質問してきた。 「映画監督兼俳優の仕事。しかも、新人の俳優を起用するようで、面接もやってほしいと言われたみたいなのよ」 社長が質問に答えると、赤坂は感心したように頷く。 「たしかに、いいと思うな。ぴったりな仕事だ」 「あなたたちも将来が見えてきたわね。私としては事務所に引き続き残ってもらって一緒に仕事をしたいと思っているわ」 これからの自分たちのことを社長は真剣に考えてくれていると伝わってきた。 ずっと過去から彼女は俺らのことを思ってくれている。 芸能生活を長く続けてやっと感謝することができたのだ。 今こうして仕事を続けていなかったら俺は愛する人を守れなかったかもしれない。でも美羽には過去に嫌な思いをさせてしまった。紆余曲折あったけれどこれからの未来は幸せいっぱいに過ごしていきたいと決意している。 でも俺たちが解散してしまったらファンはどんな思いをするのだろう。そこの部分が引っかかって前向きに決断できないのだ。
それは覚悟していたことだけど、実際に言葉にされると本当にいいのかと迷ってしまう。たとえ俺たちが全員結婚してしまったとしても、音楽やパフォーマンスを楽しみにしてくれているファンもいるのではないか。解散してしまうと『これからも永遠に応援する』と言ってくれていた人たちのことを裏切るのではないかと胸の中にモヤモヤしたものが溜まってきた。「……そうかもしれないな。いずれ十分なパフォーマンスもできなくなってくるだろうし、それなら花があるうちに解散というのも一つの道かもしれない」赤坂が冷静な口調で言った。俺の意見を聞きたそうに全員の視線が注がれる。「俺たちが結婚してもパフォーマンスを楽しみにしてくれている人がいるんじゃないかって……裏切るような気持ちになった。でも今赤坂の話を聞いて、十分なパフォーマンスがいずれはできなくなるとも思って……」会議室がまた静まり返った。こんなにも重たい空気になってしまうなんて、辛い。まるでお葬式みたいだ。 解散の話になると無言が流れるだろうとは覚悟していたが、予想以上に嫌な空気だった。芸能人は夢を与える仕事だ。 十分なパフォーマンスができているうちに解散したほうが 記憶にいい状態のまま残っているかもしれない。 「解散してもみんなにはうちの事務所に行ってほしいって思うのは私の思いよ。できれば、これからも一緒に仕事をしていきたい。これからの時代を作る後輩たちも入ってくると思うけど育成を一緒に手伝ってほしいとも思ってるわ」社長の思いに胸が打たれた。「解散するとして、あなたたちは何をしたいのか? ビジョンは見える?」質問されて全員頭をひねらせていた。
そして、その夜。仕事が終わって夜になり、COLORは事務所に集められた。大澤社長と各マネージャーも参加している。「今日みんなに集まってもらったのは、これからのあなたたちの未来について話し合おうかと思って」社長が口を開くと部屋の空気が重たくなっていった。「大樹が結婚して事務所にはいろんな意見の連絡が来たわ。もちろん祝福してくれる人もたくさんいたけれど、一部のファンは大きな怒りを抱えている。アイドルというのはそういう仕事なの」黒柳は壁側に座ってぼんやりと窓を見ている。一応は話を聞いていなさそうにも見えるが彼はこういう性格なのだ。赤坂はいつになく余裕のない表情をしていた。「成人もリュウジも好きな人ができて結婚したいって私に伝えてきたの。だからねそろそろあなたたちの将来を真剣に話し合わなければならないと思って今日は集まってもらったわ」マネージャーたちは、黙って聞いている。俺が結婚も認めてもらったということは、いつかはグループの将来を真剣に考えなければならない時が来るとは覚悟していた。時の流れは早いもので、気がつけば今日のような日がやってきていたのだ。 「今までは結婚を反対して禁止していたけれど、もうそうもいかないわよね。あなたたちは十分大人になった」事務所として大澤社長は理解があるほうだと思う。過去に俺の交際を大反対したのはまだまだ子供だったからだろう。どの道を進んでいけばいいのか。考えるけれど考えがまとまらなかった。しばらく俺たちは無言のままその場にいた。時計の針の音だけが静かに部屋の中に響いていた。「俺は解散するしかないと思ってる……」黒柳がぽつりと言った。
今日は、COLORとしての仕事ではなく、それぞれの現場で仕事をする日だ。 その車の中で池村マネージャーが俺に話しかけてきた。「実は映画監督をしてみないかって依頼があるのですが、どうですか? 興味はありますか?」今までに引き受けたことのない新しい仕事だった。「え? 俺にそんなオファーが来てるの?」驚いて 思わず 変な声が出てしまう。演技は数年前から少しずつ始めてい、てミュージカルに参加させてもらったことをきっかけに演技の仕事も楽しいと思うようになっていたのだ。まさか 映画監督のオファーをもらえるとは想像もしていなかった。「はい。プロモーションビデオの表情がすごくよかったと高く評価してくれたようですよ。ミュージカルも見てこの人には才能があると思ったと言ってくれました。ぜひ、お願いしたいとのことなんです。監督もしながら俳優もやるっていう感じで、かなり大変だと思うんですが……。内容は学園もので青春ミステリーみたいな感じなんですって。新人俳優のオーディションもやるそうで、そこにも審査員として参加してほしいと言われていますよ」タブレットで資料を見せられた。企画書に目を通すと難しそうだけど新たなのチャレンジをしてみたりと心が動かされたのだ。「やってみたい」「では早速仕事を受けておきます」池村マネージャーは早速メールで返事を書いているようだ。新しいことにチャレンジできるということはとてもありがたい。芸能関係の仕事をしていて次から次とやることを与えてもらえるのは当たり前じゃない。心から感謝したいと思った。
大樹side愛する人との平凡な毎日は、あまりにも最高すぎて、夢ではないかと思ってしまう。先日は、美羽との結婚パーティーをやっと開くことができた。美羽のウエディングドレス姿を見た時、本物の天使かと思った。美しくて柔らかい雰囲気で世界一美しい自分の妻だった。同時にこれからも彼女のことを命をかけて守っていかなければならないと感じている。紆余曲折あった俺たちだが、こうして幸せな日々を過ごせるのは心から感謝しなければならない。当たり前じゃないのだから。お腹にいる子供も順調に育っている。六月には生まれてくる予定だ。昨晩は性別もわかり、いよいよ父親になるのだなと覚悟が決まってきた気がする。女の子だった。はなの妹がこの世の中に誕生してくるのだ。子供の誕生は嬉しいが、どうしても生まれてくることができなかったはなへは、申し訳ない気持ちになる。母子共に健康で無事に生まれてくるように『はな』に手を合わせて祈った。手を合わせて振り返ると隣で一緒に手を合わせていた美羽と目が合う。「今日も忙しいの?」「うん。ちょっと遅くなってしまうかもしれないから無理しないで眠っていていいから」美羽は少し寂しそうな表情を浮かべた。「大くんに会いたいから起きていたいけど、お腹の子供に無理をかけたくないから、もしかしたら寝ているかもしれない」「あぁ。大事にして」俺は美羽のお腹を優しく撫でた。「じゃあ行ってくるから」「行ってらっしゃい」玄関先で甘いキスをした。結婚して妊娠しているというのにキスをするたびに彼女はいまだに恥ずかしそうな表情を浮かべるのだ。いつまでピュアなままなのだろうか。そんな美羽を愛おしく思って仕事に行きたくなくなってしまうが、彼女と子供のためにも一生懸命働いてこよう。「今度こそ行ってくるね」「気をつけて」外に出てマンションに行くと、迎えの車が来ていた。
少し眠くなってきたところで、玄関のドアが開く音が聞こえた。立ち上がって迎えに行こうとするがお腹が大きくなってきているので、動きがゆっくりだ。よいしょ、よいしょと歩いていると、ドアが開く。大くんがドアの前で待機していた私は見てすごくうれしそうにピカピカの笑顔を向けてきた。 そして近づいてきて私のことを抱きしめた。「美羽、ただいま。先に寝ていてもよかったんだよ」「ううん。大くんに会いたかったの」素直に気持ちを伝えると頭を撫でてくれた。私のことを優しく抱きしめてくれる。そして、お供えコーナーで手を合わせてから、私は台所に行った。「夕食、食べる?」「あまり食欲ないんだ。作ってくれたのなら朝に食べようかな」やはり夜遅くなると体重に気をつけているようであまり食べない。この時間にケーキを出すのはどうかと思ったけれど、早く伝えたくて出すことにした。「あ、あのね……これ」冷蔵庫からケーキを出す。「ケーキ作ったの?」「うん……。赤ちゃんの性別がわかったから……」こんな夜中にやることじゃないかもしれないけど、これから生まれてくる子供のための思い出を作りたくてついつい作ってしまったのだ。迷惑だと思われてないか心配だったけど、大くんの顔を見るとにっこりと笑ってくれている。「そっか。ありがとう」嫌な表情を全くしないので安心した。ケーキをテーブルに置くと私は説明を始める。ケーキの上にパイナップルとイチゴを盛り付けてあった。「この中にフルーツが入ってるの。ケーキを切って中がパイナップルだったら男の子。イチゴだったら女の子。切ってみて」ナイフを手渡す。「わかった。ドキドキするね」そう言って彼はおそるおそる入刀する。すると中から出てきたのは……「イチゴだ!」「うん!」お腹の中にいる赤ちゃんの性別は女の子だったのだ。「楽しみだね。きっと可愛い子供が生まれてくるんだろうな」真夜中だというのに今日は特別だと言ってケーキを食べる。私と彼はこれから生まれてくる赤ちゃんの話でかなり盛り上がった。その後、ソファーに並んで座り、大きくなってきたお腹を撫でてくれる。「大きくなってきた」「うん!」「元気に生まれてくるんだぞ」優しい声でお腹に話しかけていた。その横顔を見るだけで私は幸せな気持ちになる。はなを妊娠した時、こんな幸福な時間がやってくると
美羽side結婚パーティーを無事に終えることができ、私は心から安心していた。 私と大くんが夫婦になったということをたくさんの人が祝ってくれたのが、嬉しくて ありがたくてたまらなかった。 しかし私が大くんと結婚したことで、傷ついてしまったファンがいるのも事実だ。 アイドルとしては、芸能生活を続けていくのはかなり厳しいだろう。 覚悟はしていたのに本当に私がそばにいていいのかと悩んでしまう時もある。 そんな時は大きくなってきたお腹を撫でて、私と大くんが選んだ道は間違っていないと思うようにしていた。自分で自分を肯定しなければ気持ちがおかしくなってしまいそうになる。 あまり落ち込まないようにしよう。 大くんは、仕事が立て込んでいて帰ってくるのが遅いみたい。 食事は、軽めのものを用意しておいた。 入浴も終えてソファーで休んでいたが時計は二十三時。 いつも帰りが遅いので平気。 私と大くんは再会するまでの間、会えていない期間があった。 これに比べると今は必ず帰ってくるので、幸せな状況だと感で胸がいっぱいだ。 今日は産婦人科に行ってきて赤ちゃんの性別がはっきりわかったので、伝えようと思っている。手作りのケーキを作ってフルーツの中身で伝えるというささやかなイベントをしようと思った。でも仕事で疲れているところにそんなことをしたら迷惑かな。 でも大事なことなので特別な時間にしたい。
「そんな簡単な問題じゃないと思う。もっと冷静になって考えなさい」強い口調で言われたので思わず大澤社長を睨んでしまう。すると大澤社長は呆れたように大きなため息をついた。「あなたの気の強さはわかるけど、落ち着いて考えないといけないのよ。大人なんだからね」「ああ、わかってる」「芸能人だから考えがずれているって思われたら、困るでしょう」本当に困った子というような感じでアルコールを流し込んでいる。社長にとっては俺たちはずっと子供のような存在なのかもしれない。大事に思ってくれているからこそ厳しい言葉をかけてくれているのだろう。「……メンバーで話し合いをしたいと思う。その上でどうするか決めていきたい」大澤社長は俺の真剣な言葉を聞いてじっと瞳を見つめてくる。「わかったわ。メンバーで話し合いをするまでに自分がこれからどうしていきたいか、自分に何ができるのかを考えてきなさい」「……ありがとうございます」俺はペコッと頭を下げた。「解散するにしても、ファンの皆さんが納得する形にしなければいけないのよ。ファンのおかげであなたたちはご飯を食べてこられたのだから。感謝を忘れてはいけないの」大澤社長の言葉が身にしみていた。彼女の言う通りだ。ファンがいたからこそ俺たちは成長しこうして食べていくことができた。音楽を聞いてくれている人たちに元気を届けたいと思いながら過ごしていたけれど、逆に俺たちが勇気や希望をもらえたりしてありがたい存在だった。そのファンたちを怒らせてしまう結果になるかもしれない。それでも俺は自分の人生を愛する人と過ごしていきたいと考えた。俺達COLORは、変わる時なのかもしれない……。